Vision! Creation! New Sun!


オルタナティィィィィィィブ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
Studio Voiceオルタナ・ミュージックベスト100」と題した特集号


しかし、オルタナティブと名乗り、評されるものを聴いてきたけど、僕の肉体と精神を十分に更新するような決定打がBoredoms から始まる日本のノイズ、Sonic Youth から始まるNY周辺のBlack DiceやAnimal collectiveなどの間にしか見つけられていなかったことについて、「なんたる狭い視野か!」と反省させられる内容で大変満足。
(特にThis Heatについての大きな発見、Suicideとの再会)


相変わらず「オルタナティブ」という定義がなんなのかについては明確な答えがなかったけれど(いや、逆を言えば定義されるレトリックを持たない、拒絶するのがオルタナティブ?この辺については中原昌也氏が的確なコメントを言われております)、「取って変わるもの」という「Alternative」そのものの意味からすると、何かを蹴り飛ばして主流となるものをいうのか。(主流にならずとも、十分たる「脅威」になる)
しかし、完璧なオリジナルは情報過多と模倣の大海の中からは生まれ得ないという嘆きも今更な確信の対岸から、「カウンター・カルチャー」として生まれ出たものがロックンロールから現在までの伝統としての系譜だとすると、結局一抹の希望もジャンルという定義の中に埋没するのではないかという不安は消滅することは無い。かつてのパンク、そしてニュー・ウェーブ、ノー・ウェーブとしての反抗の行く末を見よ!


Boredomsを聴きなおしてみる
定義を拒絶するという意味で、成熟を拒否するとも言えようが、やはりBoredomsは白眉中の白眉。私的評価極端に高し。
産声はノイズであり、ノイズは歌である。歌。うた。UTA!!!
三田格氏は紙面で、Fishmansと「成熟拒否」の関連についての菊池成孔の発言を引用し、それと同時期のBoredomsの沈降との関係性を指摘した。
確かに成熟を拒否するものとして、ノイズは産声にまで遡ることになるが、それは同時に我々の始点への探訪であり成熟というカテゴリとは別個のものであるのでは。

それは核へと続く、魂の賛歌なのである。